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〔歌手〕
神楽坂はん子

(かぐらざか はんこ)



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神楽坂はん子


歌手概要
 神楽坂はん子さんは、昭和期に活躍した芸者歌手です。東京都出身で、16歳から神楽坂で芸者として活動中、作曲家・古賀政男に見出され1952年にデビューしました。

 デビュー曲『こんな私じゃなかったに』や、社会現象となった『ゲイシャ・ワルツ』などのヒット曲で一世を風靡しました。

 お座敷情緒を感じさせる独特の歌唱と竹を割ったような性格で人気を博しましたが、絶頂期に引退と復帰を繰り返した波乱の生涯を送りました。



歌風と特徴
 彼女は、料理店を営む両親の反対を押し切って16歳で神楽坂の花柳界に入った、本物の「芸者歌手」です。

 その歌風は、お座敷の風情を感じさせる情緒豊かなものや、当時の流行を取り入れたワルツ調の楽曲などが特徴です。

 古賀政男に見出された際、「私、芸術家って大嫌い」と言い放ったという逸話が残るほど、物怖じしない竹を割ったような気さくな性格で、その飾らない人柄も大衆から愛されました。


代表曲
 

 『ゲイシャ・ワルツ(芸者ワルツ)』は、昭和27年(1952年)9月に発表された日本の大ヒット歌謡曲です。戦後の復興期を代表する懐メロの一つとして、現在でも広く知られています。

 当時、江利チエミさんが歌った洋楽の『テネシー・ワルツ』が大ヒットしており、それに対抗する形で日本調のワルツとして企画・制作されました。本職の芸者さんだった神楽坂はん子さんのデビュー間もない時期の代表曲となり、彼女は「うぐいす芸者歌手」として一世を風靡しました。


●代表曲
『だから云ったじゃないの』
『見ないで頂戴お月様』
『女ごころの十三夜』
『ゲイシャ・ワルツ(芸者ワルツ)』

●その他の曲
『こんなベッピン見たことない』
『こんな私じゃなかったに』
『湯の町椿』
『博多ワルツ』
『雨の田原坂』
『運がよければ』

●カバー曲
 カバー曲はありません。

受賞暦・紅白出場回数
 
受賞歴

 明確な主要賞の記録は公表されていませんが、デビュー曲から立て続けに大ヒットを連発し、当時の一大ブームを築いたスター歌手として確固たる地位を築きました。

NHK紅白歌合戦

 NHK紅白歌合戦への出場は、2年連続で出場を果たしています。


その他のエピソード
 
スカウトの経緯

 作曲家の古賀政男と作詞家の西条八十が彼女の噂を聞きつけ、神楽坂で直接スカウトしました。

 彼女が披露した朝鮮民謡『アリラン』の節回しと、前述のさっぱりした性格が古賀の琴線に触れたといわれています。

人気の背景

 当時、江利チエミの「テネシー・ワルツ」が大ヒットしており、それに対抗する形で『ゲイシャ・ワルツ』が制作されました。

 この曲は当時の日本人の感性に合致し、社会現象になるほどの爆発的な人気を博しました。

引退と復帰

 1955年、人気のピーク時に身元引受人の意向で引退しました(表向きは結婚のためと報道)。

 1968年に急遽歌手復帰し、「今までの13年間の女の生活を燃やしてきました」と語ったという逸話も残っています。

 復帰後は日本クラウンなどで活動しましたが、その後は体調を崩すこともあり、惜しまれつつ芸能界を去りました。

後継

 彼女に憧れて歌手を志した神楽坂浮子(かぐらざか うきこ)という歌手がおり、後に神楽坂はん子の歌を受け継いで活躍しました。


曲名リスト 〔情:歌手情報〕〔探:探索〕〔歌:歌唱〕〔英文字 ABC…Z:カラオケ〕
〔神楽坂はん子〕 歌手本人情報 この歌手やグループの歌唱風景、カラオケ、その他情報

こ・ こんな私じゃなかったに 探索歌唱:神楽坂はん子 - トピック ひろい世界に ただひとり 神楽坂はん子

基本プロフィール 〔神楽坂はん子〕の基本プロフィール
出身地  東京都
生年月日  1931年(昭和6年)3月24日
没年  1995年(平成7年)6月10日(享年64歳)