南沙織は、生れも育ちも沖縄県の元アイドル歌手です。実父、実母ともに日本人ですが、実母の再婚相手がフィリピン人だったことから、フィリピン人とのハーフであるとの誤解が流されたこともありました。
南沙織は、地元沖縄のテレビ番組「100万人の大合唱」でアシスタントのアルバイトをしていました。たまたま琉球放送のテレビ番組にゲスト出演した「ヒデとロザンナ」のマネージャーが南沙織の写真を持ち帰り、それが新たな人材を探索中だったCBS・ソニーの目にとまって、急遽東京に呼び寄せることとなったのでした。
1971年春に、本土復帰前の沖縄から母親と二人で初来日して、デビューの準備が始まりました。わずか3か月後の6月1日、「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズのもと「17才」で歌手デビューし、実に54万枚の大ヒットを飛ばします。そして、その年末の第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞し、第22回NHK紅白歌合戦への初出場も果たしました。
当時を代表するアイドル歌手となり、同時期デビューの小柳ルミ子、天地真理らと共に「三人娘」とも呼ばれました。1975年発売の「人恋しくて」では、第17回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞します。1978年に上智大学に入学し、学業に専念するため、10月の「さよならコンサート」を最後に歌手を引退しました。
1991年末に、歌手活動を再開し、第42回NHK紅白歌合戦に14年ぶりに出場し、「色づく街」を歌いました。
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