宮城まり子は、東京都出身の歌手・女優・映画監督・福祉事業家で、東京都名誉都民でもあります。貧しい母子家庭で育ち、幼くして母や弟を亡くし悲しい少女時代を過ごしました。
1950年9月にポリドールより「恋はお荷物」でレコードレビューしました。その翌年に二つ目の歌「あんたほんとに凄いわね」を出して初ヒットを放ちました。続いて、1953年にレコードで歌った「毒消しゃいらんかね」が大ヒットして、有名歌手へと飛躍しました。
1955年の「ガード下の靴みがき」の大ヒットに続き、「納豆うりの唄」「てんてん娘」「夕刊小僧」などのヒットを続発しました。これらの歌でNHK紅白歌合戦にも通算9回の出場を果たしています。
その後は、歌手よりも女優業に力を注ぎ、1958年には「12月のあいさつ」で芸術祭賞を、1959年の「まり子自叙伝」でテアトロン賞を受賞しています。
1968年に、静岡県浜岡町に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を創設、1974年には記録映画「ねむの木の詩」を制作して第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞しました。その後も多くのチャリティー活動をしたことが評価され、1979年には総理大臣表彰されています。
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