宮史郎(みやしろう)(本名:宮崎芳郎)は、兵庫県加西市広原町生まれの演歌歌手です。16歳の頃、姫路市のキャバレーで働きながら自作の演歌「男の花道」を発表して歌謡界にデビューしました。
1961年にスパローボーイズと呼ばれる音曲漫才を結成したのを契機に、2年後の1963年には兄の宮五郎、並木ひろしとともに音曲漫才「ぴんからトリオ」を結成しました。
やや時期が経った1972年に自主制作レコード「女のみち」が400万枚を売り上げる大ヒットを飛ばし時代の寵児となりました。その後も「女のねがい」そして「女のゆめ」とヒットを続けました。
1973年にはメンバーのひとり並木ひろしが脱退してグループ名は「ぴんから兄弟」に改名となります。この年のNHK紅白歌合戦に「女のみち」で初出場を果たします。
1983年になって、兄の宮五郎が引退しぴんから兄弟も解散してソロでの活動となりました。その後も各種の演歌番組やCMなどで活躍しましたが、2012年11月19日に、多臓器不全のため死去しました。享年69歳でした。
ぴんからトリオの時代のヒット曲「女のみち」などの他、ぴんから兄弟時代には「女のきず」や「ひとり酒」「夢を抱く女」などを発表しています。ソロ時代にも「片恋酒」や「いのち川」などの曲を出しています。
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