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〔歌手〕
エト邦枝

(えと くにえだ)



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エト邦枝


歌手概要
 エト邦枝は、東京都台東区浅草出身で、昭和期に活躍した日本の女性歌手です。彼女は、1916年1月1日生まれで、本名は「笠松エト」といいます。

 彼女は、元々は大蔵省で働いていたのだったが、クラシック音楽に興味があり、帝国音楽学校を卒業後、原信子に師事し、当時の藤原歌劇団で修行を積みました。

 1955年に発表した『カスバの女』が大ヒットを記録しました。哀愁を帯びたハスキーで情感豊かな歌声は、戦後の歌謡史に深く刻まれました。

 その後は下北沢で歌謡教室を開くなどし、懐メロブームの際にはテレビ出演などを通じて往年のファンを魅了しました。

 彼女の名は、波乱に満ちた人生と唯一無二の歌唱力で、多くの人々に記憶される存在となっています。

歌風と特徴
 エト邦枝の歌風は、ボリュームのある低音とダイナミックな歌い方に特徴があり、よい意味で「粗けずりのエト」と称されていました。

 元々クラシックを学び、藤原歌劇団などで研鑽を積んだ確かな音楽的素養を持っていました。彼女の歌唱には、単なる流行歌にとどまらない深い表現力が潜んでいるのです。

 特に代表曲である『カスバの女』では、異国の情景と孤独な女の心情を、哀愁に満ちたハスキーな声で切々と歌い上げました。この曲は、単なるヒット曲を超えて、昭和を象徴する哀愁歌として長く親しまれています。


代表曲・その他の曲
 
●代表曲
 『カスバの女』
  (1955年/昭和30年発売)


 『カスバの女』は、エト邦枝の代名詞であり、昭和歌謡史に残る不朽の名作です。

 北アフリカ・アルジェリアの外国人部隊の駐屯地(カスバ)の酒場を舞台に、訳ありの過去を持つ女の哀愁を切々と歌い上げています。

 この曲は、発売当初はそれほど話題になりませんでしたが、夜の世界では「幻の名曲」としてジワジワと歌い継がれました。

 のちに昭和40年代の懐メロブームや、緑川アコ・藤圭子・ちあきなおみなど多くの歌手にカバーされたことで、時代を超えた大ヒット曲となり、現代でもカラオケファンには馴染み深い一曲となっています。

●その他の曲
 『燈台の流れ星』
 『花にあらねば』
 『懐しのトニー』
 『モーニングエコー』
 『テネシーワルツ』
 『イヨマンテの夜』


 テイチク移籍前のコロムビア時代やマーキュリー、タイヘイ、大映レコード等の時代を含め、現在では大変貴重となったSP盤時代の楽曲がいくつか知られています。

 『花にあらねば』は、マーキュリーレコードから発売されたSP盤で、B面は藤島桓夫さんの『戀さるゝ身は』でした。

『懐しのトニー』もSP盤に記録が残る、彼女の哀愁を帯びたボーカルが活かされた楽曲です。『モーニングエコー』は、タイヘイレコード時代に吹き込まれた流行歌です。

 その他、その確かな歌唱力から、当時日本でも流行していた『テネシーワルツ』や『イヨマンテの夜』などのカバー・ステージ歌唱でも足跡を残しています。


受賞暦・紅白出場回数
 
受賞歴

 特筆すべき大規模な公的受賞歴に関する記録は見当たりません。しかし、後年まで長期にわたり歌い継がれる名曲となった『カスバの女』を歌ったことが、最大の功績と言えます。

NHK紅白歌合戦

 NHK紅白歌合戦への出場歴はありません。


その他のエピソード
 
二足のわらじ

 歌手デビュー前は大蔵省の吏員として勤務しており、働きながら帝国音楽学校に通うという非常に努力家な一面を持っていました。

不遇の時代と再評価

 『カスバの女』を発表する前後はレコード会社を転々とするなど不遇な時期もあり、一時は歌手廃業を考えたこともありました。

 下北沢で歌謡教室を開いて生計を立てていた時期もあったのでした。

『カスバの女』の脚光

 『カスバの女』は、発売当初はさほど売れなかったものの、時を経て懐メロとして突如注目を集めることとなりました。

 「苦節十二年」という紹介と共に再びマイクを握った姿は、当時のファンに強い感動を与えました。

最期の場所

 彼女は、歌手生活を引退すると、10年間ほどは観光バスガイドの指導役を務め、晩年にはカラオケ教室を開くなどして過ごしました。

 亡くなる直前まで音楽活動への意欲を失わず、1986年には日本歌手協会主催の歌謡祭にも出演しています。

 1987年に世田谷の長谷川病院にて大動脈瘤破裂により亡くなりました。下北沢は彼女にとって音楽人生の出発点でもあり、晩年まで縁の深い土地でした。


曲名リスト 〔情:歌手情報〕〔探:探索〕〔歌:歌唱〕〔英文字 ABC…Z:カラオケ〕
〔エト邦枝〕 歌手本人情報 この歌手やグループの歌唱風景、カラオケ、その他情報

か・ カスバの女 探索歌唱:musasino 2 演歌(歌謡曲)natsumerokaraoke昭和カラオケkyouzanロデナツメ 涙じゃないのよ エト邦枝

基本プロフィール 〔エト邦枝〕の基本プロフィール
出身地  日本

 詳細な出生地は公開資料では明示されていませんが、帝国音楽学校で学び、東京都世田谷区の下北沢周辺で長年活動しました。

生年月日  1916年(大正5年)1月1日
没年  1987年(昭和62年)3月13日(享年71歳)