百恵は、非常に人気の高い歌手でしたが、現在は芸能活動はしていません。現役時代には、所属事務所は現在のホリプロ、レコード会社は現在のソニー・ミュージックエンタテインメントに所属していました。
1972年12月にオーディション番組の「スター誕生」で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝し20社から指名を受けました。翌年、映画「としごろ」に出演し、同名の曲で歌集デビューしました。当時、同年代の森昌子、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれました。
1974年に「ひと夏の経験」が大ヒットし、「青い性」路線という際どい歌で絶大な人気歌手となります。当時の百恵は、「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されると、「まごころ」と答えていました。
同じ年に、青春映画「伊豆の踊子」に主演しますが、相手役は三浦友和で、二人とも絶大な人気を博し、「ゴールデンコンビ」と呼ばれました。その後もTBSのテレビドラマ「赤いシリーズ」で人気を高めていきました。
1976年には阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品「横須賀ストーリー」を歌い、以降次々と大ヒットを飛ばします。1978年の第29回NHK紅白歌合戦では10代の歌手では初となる紅組のトリを務めました。
1980年3月7日に三浦友和との婚約を発表すると同時に芸能界引退を宣言して、ファンに強烈なショックを与えました。1980年10月5日、日本武道館でファイナルコンサートが挙行されました。「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」のメッセージをファンに残し「さよならの向う側」を涙で絶唱しました。
完全引退の日は、10月15日のホリプロ20周年記念式典で、「いい日旅立ち」を歌いました。引退時の年齢はわずか21歳で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだったのです。
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