克美しげるは、昭和時代に活躍した歌手である。 下積み生活を続けていた克美は、後に流行歌手として活躍するようになる。 1960年にNHK大阪主催のオーディションに合格し、翌年には、当初は勝己しげると名乗っていた芸名を克美しげるに改め、バンド〔ロック・メッセンジャーズ〕と共に東京に進出している。 ジャズ喫茶で歌っているときに東芝のディレクターからスカウトされ、ジョン・レイトンのカバー曲〔霧の中のジョニー〕でデビューすることとなった。 1963年、テレビアニメ〔エイトマン〕の主題歌を歌い、歌手としてブレークする。続いて1964年には〔さすらい〕が大ヒットを飛ばし流行歌手としての名声を高め、NHK紅白歌合戦にも2年連続で出演を果たした。 その後、1976年に愛人の殺害事件を起こし、懲役10年の実刑を受けたり、出所後の1989年には覚せい剤取締法違反で逮捕され懲役8か月の実刑を受けた。年老いてからは、悔恨の念から毎日写経を続けていたという。