トニー谷は、東京出身のヴォードヴィリアンである。
ソロバンを楽器のようにかき鳴らしながら珍奇な芸を披露して商売していた。奇妙な英語のような単語を創りだし、「トニングリッシュ」と呼ばれていた。
短めなオールバックにちょび髭、独特のロイドめがねがトレードマークだった。
幼少期から成人するまで複雑な家庭環境で育ち、苦労を重ねたとされるが、少年期には下町の算盤塾で学び、学業成績も優秀だったという。
戦時中には召集され近衛歩兵1連隊に入隊するなど兵役を務めた。出征中に最初の妻は1945年3月10日の東京大空襲で行方不明となっている。
終戦後1945年12月に復員し、現在の東京宝塚劇場に就職し、大道具関係の仕事をしていた。やがて進駐軍のアメリカ赤十字クラブが開設されると、進駐軍相手の慰問芸能団編成に関わり、有名な芸能人達とのコネを築いたとされている。
記録では、トニー谷は、一族との付き合いは一切拒否していたとされている。しかし、私の知人に彼をおじさんと呼ぶ親戚がいて、この人の話だと、そうでもなかったようだ。一族が集まると、トニー谷よりもっと上に当たる叔父がいるにも関わらず、トニー谷がいつも上席に座り威張っていて、子供心に不思議だなと思っていたそうである。
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