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〔歌手〕
津村謙

(つむら けん)



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津村謙


歌手概要
 津村謙さんは、富山県出身の昭和期を代表する歌手です。1943年にデビュー後、復員を経てキングレコード等で活躍しました。

 艶やかで澄んだ「ビロードの声」と称される美声で人気を博し、1951年には『上海帰りのリル』が大ヒットして一躍スターとなりました。

 NHK紅白歌合戦に8回連続で出場するなど、昭和20年代の歌謡界を牽引しましたが、1961年に不慮の事故により37歳の若さで急逝しました。


歌風と特徴
 彼は、作曲家・江口夜詩や古賀政男に師事。その歌声は艶やかで澄んでおり、「ビロードの声」と絶賛されました。

 物静かで気品のある佇まいと、哀愁を帯びつつも都会的で美しいクラシックな響きを持つ美声が、戦後の傷癒えぬ人々の心に深く染み渡り、多くのファンを魅了しました。


代表曲
 

 昭和の歌謡界を代表する名歌手・津村謙は、「ビロードの声」と称されたつややかで張りのある美声の持ち主です。

 端正なルックスと確かな歌唱力で、昭和20年代後半から30年代の歌謡界を文字通り牽引したスターでした。今聴いても、その端正な歌声の魅力は色褪せることがありません


●代表曲
『上海帰りのリル』
『流れの旅路』
『東京の椿娘』
『港町十三番地』

●その他の曲
『あなたと共に』
『待ちましょう』
『青春の街』
『流転わらべ唄』
『霧雨のけむる道』
『緑の牧場』
『赤いマフラー』
『母三人の歌』
『まぼろしの妻』
『後追い笠』
『夜汽車の女』
『マドロス追分』
『リルを探してくれないか』

●カバー曲
『港町十三番地』(原曲:美空ひばり)

受賞暦・紅白出場回数
 
受賞歴

 特筆すべき大規模な音楽賞の受賞記録は残されていませんが、当時の日本歌謡史におけるトップスターの証である、後述の紅白歌合戦の常連としてその功績が認められていました。

NHK紅白歌合戦

 NHK紅白歌合戦への出場回数は、通算8回です。1952年の第2回から、1958年の第9回まで8回連続で出場しました。

 当時は年に2回開催された年(1953年)があったため、年数としては7年連続となります。


その他のエピソード
 
芸名の由来

 戦前・戦中に一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公「津村浩三」の苗字と、その役を演じた名優「上原謙」の名前を組み合わせて「津村謙」と命名されました。

人柄と趣味

 同じレコード会社だった三条町子からは「口数が少なく、物静かな人物だった」と評されています。大変な麻雀好きとしても知られていました。

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早すぎる不慮の死

 1961年11月28日、麻雀帰りで深夜に帰宅した際、「夜遅くに家族を起こしては悪い」という気遣いから、自宅車庫に停めた自家用車の中で休んでいました。

 しかし、エンジンをかけたまま眠ってしまったため、排気ガスによる一酸化炭素中毒を起こし、37歳という若さで帰らぬ人となりました。


曲名リスト 〔情:歌手情報〕〔探:探索〕〔歌:歌唱〕〔英文字 ABC…Z:カラオケ〕
〔津村謙〕 歌手本人情報 この歌手やグループの歌唱風景、カラオケ、その他情報

あ・ 赤いマフラー 探索 津村謙
あなたと共に 探索 津村謙
い・ 一筆しめし参らせ候 探索 津村謙
き・ 霧雨のけむる道 探索 津村謙
し・ 上海帰りのリル 探索 津村謙
つ・ 月夜の笛 探索 津村謙
と・ 東京の椿姫 探索 津村謙
な・ 流れの旅路 探索 津村謙
は・ 母三人の歌 探索 津村謙
ひ・ 白夜行路 探索 津村謙
へ・ 紅椿の歌 探索 津村謙
ま・ 待ちましょう 探索歌唱:CLC MVC 待ちましょう 待ちましょう 津村謙
マドロス追分 探索 津村謙
マルーシャ可愛いや 探索 津村謙
み・ 緑の牧場 探索 津村謙
ゆ・ 夕陽に走る汽車 探索 津村謙
り・ リルを探してくれないか 探索 津村謙
る・ 流転わらべ唄 探索 津村謙

基本プロフィール 〔津村謙〕の基本プロフィール
出身地  富山県下新川郡入善町
生年月日  1923年(大正12年)12月12日
没年  1961年(昭和36年)11月28日没(享年37)