以前にはマイナーな存在だったロックやフォークという音楽のジャンルを、日本の音楽界に広めた第一功労者とされています。また、各種のコンサートツアーなどを日本に根付かせた立役者でもあります。
立教大学のジャズ研でピアニストを目指していた兄が帰郷したのが切欠で、拓郎は音楽に興味を抱くようになります。これを見た母親が、喘息持ちで家にいることの多い拓郎にウクレレを買ってやり、それから音楽を勉強するようになったのでした。
1962年、皆実高校に入学すると級友とインストゥルメンタルバンド「トーン・ダイヤモンズ」を結成しウクレレパートを担当します。高校2年の時、自宅に下宿していた広島大生からクラシック・ギターを習い、その影響を受けバンドはビートルズに傾注してゆき、バンド名も「プレイボーイズ」に変わります。
1965年、広島商科大学に入学しカントリー&ウエスタン部に入部、中学時代の同級生と新たに「ザ・バチュラーズ」を結成し、ドラムスを担当します。1966年になると、ソロでのフォークスタイルの活動も始めました。
1967年には4人グループの「ダウンタウンズ」を結成しギターとボーカルを担当します。同年、第1回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト中国地区大会に出場しロック部門で優勝、地元では大人気のバンドとなります。その後、1968年の全国大会ではヴォーカル・グループサウンズ部門で全国4位を獲得し、知名度が上昇します。
代表作に「明日に向って走れ」「今日までそして明日から」「結婚しようよ」「洛陽」「旅の宿」「唇をかみしめて」「人間なんて」などがあります。
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