渡哲也は、兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)出身の俳優・歌手で、芸能事務所石原プロモーション代表取締役社長、また芸能プロモーターでもあります。弟に俳優の渡瀬恒彦がいます。
1964年、就職希望していた日本航空の整備士採用試験で不合格になった時、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」という友人の言葉で、日活撮影所を見学に行き、その場でスカウトされ、日活に入社することになります。
日活では多くのヤクザ映画などに主演するものの客足は遠く、日活は興行不振で倒産寸前となり、あえて、これまた借金で倒産寸前であった石原プロに入社しました。「仁義なき戦い」シリーズを手がけていた深作欣二監督のもとで「仁義の墓場」「やくざの墓場 くちなしの花」などに主演します。
この時代、経営再建中の石原プロの自社制作の「大都会」シリーズ、「西部警察」シリーズに主演として出演し大いに貢献します。渡哲也といえば、角刈りにサングラスというスタイルが定着し、その時代を生きた年配層には今でもこの印象が強く残っています。
その風貌や演技力により多くの映画への出演オッファーがあったにも関わらず、自身の健康問題を抱え、「勝海舟」では途中降板したし、「人間の証明」「野生の証明」「八甲田山」「皇帝のいない八月」などへの出演を断念せざると得ない状況でした。
それでも、石原プロ自社制作の「大都会」シリーズ、「西部警察」シリーズは何とかやり遂げます。そして、1987年に石原裕次郎が死去すると、渡は石原プロ社長に就任します。
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