若原一郎は、神奈川県横浜市出身の歌手で、養女の娘にタレントの若原瞳がいます。1948年、NHKのど自慢で入賞し、翌1949年にキングレコードから「船に灯がつきゃ」で歌手デビューしました。
デビュー当時から、伸びやかで豊な声量の美声が認められていたものの、長いあいだ特別なヒットに恵まれませんでした。しかし、1956年に「吹けば飛ぶよな」が突然ヒットし、全国に名が知れ渡ります。これにより第7回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし「風の吹きよで」を歌いました。以後、5回連続で紅白に出場しています。
1958年に「おーい中村君」を発売し50万枚以上を売り上げ、彼の生涯最大のヒットを飛ばしました。
若原一郎はコミカルな曲を歌う歌手というイメージがあるものの、「山陰の道」「少女」など叙情的な歌も多く歌っています。また、今では余り歌われませんが、彼が歌う昭和初期から戦中歌謡、特に軍歌には根強い人気があります。
1955年、昭和30年代後半以降は、ヒットもでませんが、1965年、昭和も40年代に入ると懐メロのブームもあり、それなりの脚光を浴びるようになります。1970年代になると、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で万年落第生の中年学生役で人気を呼びました。1990年、肝臓癌のため享年58歳で死去しました。
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