平尾昌晃は作曲家・歌手で、自分でも歌いますが、他の多くの歌手のためにいろいろな歌を作曲してあげることが多いです。東京都牛込生まれですが、戦後に神奈川県湘南に移住し、湘南学園で小中学時代を送りました。
慶應義塾高等学校を中退し、ウエスタンの人気バンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に入りました。しばらくして、バンド名はオールスターズ・ワゴンと変わりました。1957年、ジャズ喫茶「テネシー」で出演しているところを、渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次の目にとまり、同年公開の石原裕次郎主演映画「嵐を呼ぶ男」に出演しました。
その後、「日劇ウエスタンカーニバル」では、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として超絶名な大人気を博します。1958年1月にはキングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビューを果たし、キングレコードから、オリジナルナンバー「星は何でも知っている」をリリース、翌年には「ミヨちゃん」を出して大ヒットを飛ばしました。
1960年代半ばのロカビリーブームが終焉した後、「おもいで」「霧の摩周湖」「恋」、梓みちよ「渚のセニョリータ」などがヒットを飛ばします。
その後、結核のためしばらく活動を休止しますが、1970年代には、作詞家山口洋子とのコンビで演歌やポップスなどを作曲し、五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供しヒットさせています。更に、「平尾昌晃音楽学校」を創立し、同校から石野真子、狩人、松田聖子、森口博子、後藤真希、林明日香、倖田來未等、多くの人気歌手を輩出ししました。
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