藤田まことは、東京府東京市豊島区生まれ、京都府京都市育ちの俳優・歌手・コメディアンです。藤田まことの父親は、無声映画時代のスター俳優、藤間林太郎で、東大阪市にあった帝国キネマの撮影所で働いていました。この撮影所が焼失したことで家族は東京に移りました。
彼は幼少時を東京で過ごした後、京都へ移住し、高校を卒業すると、ディック・ミネの師事を受けながら歌手として芸能界へ入りました。その後、中田ダイマルのカバン持ちをしながら、声帯模写や歌謡物真似、漫談、司会などで生活してきました。
1957年、現在の大阪テレビ放送で放送された「ダイラケのびっくり捕物帖」にレギュラー出演することになり、コメディアンとしての活動を始めました。1961年には、ABC制作のコメディ「スチャラか社員」にレギュラー出演するようになります。
このてなもんやシリーズが終了後は、しばしの休止状態が続きますが、1973年から始まる「必殺仕置人」で中村主水役に抜擢され、名演技振りを披露し、益々人気を高めることとなりました。コミカルなイメージとシリアスな殺し屋役の微妙な存在が人気の的でした。
その他にも「夫婦旅日記 さらば浪人」や「京都殺人案内」などで名演技を見せますが、結局、最後まで必殺シリーズの主役として活躍を続けることになります。2010年2月17日、大動脈出血により死去しました。
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