村田英雄は、佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身演歌歌手・俳優で、生前は新栄プロダクションに所属していました。実父の広沢仙遊、実母の矢野ツタ子の子として生まれ、4歳の時には京山茶目丸と称して「中山安兵衛婿入り」にて初舞台を踏んでいます。
5歳になると大物浪曲師酒井雲門下に弟子入りし、「酒井雲坊」の芸名をもらい13歳で真打に昇進します。14歳では「酒井雲坊一座」の座長に昇進し九州での地方公演に活躍します。
1949年になり、浪曲師として日本一を目指して上京し、1954年、25歳で芸名を村田英雄に改めます。そして、1958年に作曲家の古賀政男に見出され、「無法松の一生」で歌手デビューを果たしました。当初は売れなかったものの、1961年に発売した「王将」が空前のミリオンセラーとなり、翌年には第4回日本レコード大賞を受賞します。
これにともない、以前に発売した「無法松の一生」や「人生劇場」もヒットし、人気も高まります。1973年に糖尿病の治療で休業し、復帰後もヒットはなくしばらく低迷しますが、1979年に有線放送で「夫婦春秋」がヒットし、「人生峠」「夫婦酒」などもヒットします。村田英雄は、三橋美智也、春日八郎に親交が深く、1988年に彼らと「三人の会」を結成して演歌界をリードしました。
しかし、若い時代からの糖尿病との闘病生活の末、2002年6月13日、合併症の肺炎により、享年74歳で死去しました。村田英雄の作風は一貫して「男」「人生」「夫婦」などを語るものでした。
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